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「チケット争奪戦」広島工務店 自然素材 省エネ住宅 パッシブ DIY 投稿日:2017年10月6日

すっかり秋になりました。

しかし、カープはクライマックスに向けての練習に入りました。

前回のチケット抽選に敗れ

10月4日10:00~チケット一般販売がありました。

9:00頃から臨戦態勢

スタップ2名(セブンチケットとローソンチケット)

トリプルモニターで(セブンチケットとローソンチケットとチケットぴあ)

準備!

年配事務員はセブンチケットの取り方から説明して

9:50ごろから動かし始めましたが

その時点で回線が繋がらない

みんなで繋がらないとパニック状態に入り

カチャカチャとクリックの音が響き渡り

「どうなっとるん?」と言いながらあっという間

20分

手も足のも棒にも箸にもとにかく相手にされませんでした(涙)

転売屋さん(プロ)が集まるチケット争奪戦に一般人が紛れても到底かないません

日本シリーズまでにチケットゲット方法を研究して試したいと思います.

(カープが日本シリーズに行ける事が前提ですが・・・)

ホームページもリニューアルしたので初心に戻り

私が沢山苦労しながら経験して生きた事

家に関しての隠れた歴史

家造りの注意点やポイント

とにかく、思った記事にしたいことを掲載していきたいと思っています。

「建築人生」

小さいころから先々代の自転車サイドカーに乗ってお家の修理や工事を見てきました。

その家の人に「小さいのにお手伝い?」って言われるのがうれしくて

部屋の中を解体した家で手伝い?遊んでいました。

その当時の風景今でも覚えています。

今でも覚えていますが、広島原爆で家が焼けて

いろいろな資材をかき集めて直した家が多いから穴の開いた柱が沢山ある

戦後の広島は大変だった材料がなくて人がいなくてと言っていた。

小学校に入ると昭和54年位小学校4年生くらいかな?

高度成長期、建築業界が超忙しい時代

先代が猫の手も借りたいという事で

日曜日や夏休みなど

現場に行って基礎をする前にやり方を手伝ったり掃除をしたり片付けしたり

当たり前のようにお手伝い

ハウスメーカーの下請け(MH)結構癖のある工法で

父親がこの家はこうなると色々話してくれました

(実際その通りになっています)

当時の大工さんも人手不足で職人さん確保が大変だったようで

今は古い団地も、その当時はきらきら光っていました。

(子供の目線ですが、団地の移り変わりをなんか見てきたかなぁ~)

小さいころから、なんで坊や「なんで?なんで?」

父親とか、大工さん職人さんとかに色々聞いていました。

職人さんも小さい子が色々聞いてくるのが面白かったんでしょうね。

色々な表や裏の話、良いこと悪いこと含め

その当時の家造りの職人さんの本音や沢山聞かせてもらいました(笑)

上棟時、足場のない2階桁に立ったときの職人さんたちの笑い声

すごく怖かったけど、あの日の広島の瀬戸内海の風景

今でも鮮明に覚えています。

そして、中学生

体つきは細かったですけど、立派な戦力

夏休みは、腰袋をつけもう職人さんの仲間入り

チクチクする断熱材を入れたり、胴縁を入れたり、ボードの釘を売ったり

木の刻みの墨付けや片付けを手伝ったり

色々な大工さんの所を出入りして新築ラッシュの団地だったため

他の仲の良い工務店の大工さんの所の手伝いもしていました。

(結構、人気者で可愛がってもらい面白かった)

早く仕事を終わらせたかったので大工さんの癖を見ながら仕事をしてました。(笑)

工務店や大工さんによって家造りが大きく違うのに驚いています。

その時のお駄賃は、牛田にあった居酒屋ポイ「いろは寿司」

食べ盛りだったのでそれはそれでよかった(笑)

そして、高校生

広島工業大学附属工業高校(建築科)

この頃になるともう職人さんになってました(笑)

バブル全盛期で超忙しく

夏休み宮園の団地に入って

ボードのビスを鉄の塊で出来た重たい鉄砲(空気で釘を打つ機械)で

ボードにくぎを一生懸命打っていました。

その頃、広島木造建築革命プレカット工法がで始め、

それまでは木を組み立てるのに手で刻んでいたものが機械に変わってきました。

(その当時の大工さんは、機械なんて信用できない!!とブツブツ言いながら仕事をしていました。)

初めてもらったバイト代でCDプレヤーを買いました。

英才教育を受けていたため、高校での建築に関してはすごくよかったのですが

建築科に行くと英語、数学、社会など建築とは関係ない分野は授業ではないと思っていたのに

昔から図工と体育だけはピカ一だったけど建築以外の成績はほぼ後ろ

高卒で就職をする予定でしたが

学歴社会と言われる時代だったのでとりあえず大学を目指しました(笑)

しかし、大学入試には建築科目がなく苦手な分野ばかりであえなく撃沈しましたが

高校で大学受験対策講習があり

その数学の先生に自分にあった勉強の仕方を教えてもらい

私の人生が大きく変わっていきました。

(もっと、早く出会っていたらと今でも思います)

福岡にある読売福岡理工専門学校に入学しました(笑)

(面接時、あなたの建築について聞かれ思いを熱く語ったら、ほぼ面接だけで合格ラッキーでした。)

専門学校だけあって専門分野の授業が多くワクワクしながら授業を受けてきました。

高校の先生に教えてもらった勉強方法で前期の試験で

百数十人中5位という奇跡的な成績を残しました。(それが最後でしたが(笑))

(進学校から来ている人が多い学校なのに??)

夏休みは広島に戻りいつものようにバイト

宮園、四季が丘に行っていました。

建築資材建材が目まぐるしく開発され色々な釘や道具が開発されてきて

「造るから組み立てる」時代に変わってきました。

車の免許を取っていたため建材を現場に運ぶ雑用が多くなってきて

家造りの雰囲気が頃っと変わってきた記憶があります。

専門学校構造科を先行していたため、先生が本業で構造設計事務所をもっていて

構造事務所の手伝いをさせてもらいコンクリートなどに興味をもち

広島に帰る予定でしたが、RCの建物が建てたい気持ちが芽生え

構造の先生に紹介してもらい、その当時中堅ゼネコンに就職しました。

その会社が、フジタのグループ会社だったため自社物件以外に

フジタ、西武建設出向という形もあり、短期間のうちに大小色々な物件に携わりました。

住宅供給公社マンション

大京マンション、藤和マンション、ダイヤパレス、マンションクレーム担当

総合病院(CT室、霊安室まで)産婦人科、ゴルフ場、RC住宅

震災改修工事、店舗 S造、RC造、SRC造とりあえず全工法やりました。

たった、6年の間にこんなにたくさん携わることが出来るなんて思いますが

マンション以外は、突貫現場でひどい話23歳時

年に6日しか休みがない上、勝山のゴルフ場の改修工事は水不足から杭工事が出来ず

昼夜工事で山奥1時間睡眠生活が3週間続いたときには、さすがに死ぬかと思いました。

(人生最低体重49kg骨と皮でした(笑))

(ブラック企業って世の中騒いでいますがかわいいものです(笑)残業時間月40時間までと強制的に書かされていました)

その時は一生懸命で「やめる」とかどうとかいう状況ではなかった完成させるのが先決でした

(建築は「経験工学」短時間でこれだけのことを学べる事は出来ないのでそれが財産になっています。)

突貫になった現場の主任応援!

あまりうれしくない「突貫の岡田!」と言われ突貫現場請負人

沢山の現場所長を救ってきました(笑)

西武建設の公社のISO工事に手こずりながらひと段落ついたところで

「忙しくてしんどいけんそろそろ帰ってこいや!」と先代に言われ広島に帰る事を決意!

6年間付き合っていた彼女を残し(今の妻)

広島に帰り、再び家造りの世界に戻りました。

次は再び広島編

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